「面倒だということ」

突然だが、俺は「面倒くさい」と言う奴(人間)が嫌いだ。
何故なら多くの場合、そいつは分を弁えずに虚勢を張っているからだ。

説明を入れると、何かをやれと言われて「面倒くさい」と応答し、何かをしない人間は、

・何かをすることによって自らが何の利益も得られない、または損害を被る
・何かをすることが(能力的に)出来ない

のどちらかである。
そして、多くの場合は後者だ。自分が出来ないことを遠回しに言って、あたかも相手に「俺は別にできないわけじゃないよ。やればできるけどやらないだけだよ」と示唆している。
その態度が気に食わない。

お前、出来ひんねやったら出来ひんって正直に言えよ。バレバレやん。無駄に虚勢張るんダサいねん、それ。

更に言及すれば、多くの場合その何かは、普通に出来る人ならば大して手間を掛けずにすむ(面倒ではない)ことか、手間は掛かるが何か利益(対人においても)を会得できるものである場合が多い。そして前者の時、1度ならず2度もこの言葉を使って拒否することは、「自分が出来ない」ことを自明し、負けを宣言しているようなものだ。恐らく「出来ることを証明して見せてよ」と言われれば、顔を渋らせるか、「面倒だし」や「時間の無駄」等と言って逃げるに違いない。

手間を掛けずに済むならば別にやってもいいだろうし、利益が得られるなら手間を掛ける意味があるというものだろう。
然も、この言葉を使う人間には、他者を貶めようとする輩が多い傾向にある(少なくとも俺が見てきた限りでは)。

少し考えればすぐ解るが、虚勢を張ってまで「自分が出来る」ことを相手に伝えようとするのは、相手よりも自分の方が下位にあることを悟られたくないからだ。つまり、そいつにとっては、相手より下にあることに少なからずコンプレックスを持ってしまうと言って差し支えなかろう。コンプレックスを持ってしまうということは、無意識下に「自分の方が上」という上下関係の考えを持っていることに他ならない。

「面倒くさい」という言葉は、「出来ないから」逃げると同時に「自分はやらないだけであって、本当は出来る」と虚勢を張るための言葉である。だから、この言葉を使ってしまう人間は、間違いなくあらゆる能力的なレベルが低く、また、何をする能力も持たずして他人には虚勢を張り、ちっぽけな自分を訳の解らない妄想か何かで欺瞞した偶像を持つ人間である。然も、唯々欺瞞による自己満足だけに留まらず、他者を貶めようとする性癖まで持つ。他者に対して勝つための何らかの要素(能力)も持たずして、だ。

「何かが出来ない」というのは仕方がない。最初から全てが出来る等有り得ないのだから。 だから、「出来ない」ことに気づくことは良しとしよう(有名な「無知の知」という言葉もあるくらいだしな)。
然し、「出来ない」ことを知りつつも、努力すれば「出来る」ようになることを努力もせずに「自分は出来る」ということを示唆して虚勢を張りつつ、更には他者を貶めようとする。
もういい加減やめればどうなんだ?そのような虚勢は、似たような同レベルの相手にのみ通用しうるものであって、騙されない人間には罷り通らない。無意味だ。

多くの人間は、この言葉を何の躊躇いもなく使う。然し、若しここに書かれていることが少なからず理解できたならば、「面倒くさい」なんて言葉は、恐ろしくて使いようがないだろうに。

俺はこういう人間を見ていると、身体中に虫酸が走る(笑)
お前、何もできひんくせに粋がってるんとちゃうぞ、とね。
然し、こう考えてしまうことが、今俺自身が示した「面倒くさい」を連発する人間の定義に当てはまっていることが非常に滑稽だが(笑)