「目立ちたがり」

テレビや新聞といったメディア群は、最近戦争系のことばっか報道してるね。
戦争終了60年ってのと、原爆投下から60年を迎えるからって事なんだろうが。
正直俺はうんざりしてる。
今「不徳だ」とか思った人は、態々声に出さなくていいから。そういうのはもうイヤって程見てきたから。言われなくても知ってるし。

何で今更こんな敵を大量に作るようなことを書こうとしているかと言うと、日本中に偽りの反省をしている人間が多々いると感じざるを得ないからだ。

確かに戦争が終わったのは8月だから、その月になれば毎年世間で騒がれるのも一応は納得しなければいけないんだが、その内容が毎年同じ様に

「戦争を忘れてはいけない」

だとか、

「原爆の恐ろしさを後世に伝えないと」

だとか、

「平和が一番」

だとか。俺は10年分くらいの記憶は基本的に持てる動物に属しているので、どんなに少なくとも、ここ10年間は同じことが言われていると思う。

こうして騒ぎ立てる多くの蒙昧な人間達はどの口を開いても同じ言葉しか出てこない。
そして(勿論毎日ずっとそうしている人もいるだろうが)多くがこの時期のみにでしゃばって来て、戦争はあーだこーだ、原爆はダメだ、平和が云々等と沈痛な面持ちでうだうだ言っている人間が見られる。

俺がこれを話題にし、わざわざ戦争反対を“今の時期だけ”取り立てている人間を敵に回そうとしているのは、“今の時期だけ”がやたらと鼻につくからだ。

今の時期は、60年前に原爆が投下されたり戦争が終わったりして色々取り沙汰されるが、9月になってみればどうだろうか?
ここの読者の方々にも去年以前のことを思い返してみてほしい。
8月はテレビから新聞から道を歩く人々全ての口から「戦争」という単語が話された。
然し、9月になればそのほとぼりは冷め、また日の目を浴びることなく、芸能ニュースやスポーツニュースといった他の下らないニュース等に埋まっていく。
俺はこれを最低10年間は繰り返し見てきた。
そしていつも思った。
「どうして8月まで皆戦争の話をしていたのに、9月になったら一気にどうでもいい話に埋もれるのだろうか」と。
俺が今の時期だけ戦争反対を叫ぶ大衆を敵に回したい理由がここにある。
「忘れてはいけない!」はずの戦争や原爆の被害のお話が、1ヶ月も経たないうちに悉く話題から消え去る。
どうして?何故?忘れてはいけないんじゃないの?常にいつでも、皆が戦争のことについて(馬鹿馬鹿しく)語り話題にし、忘れないようにしないといけないんじゃないの?どうして今しか騒がないの?そんなに言いたきゃ、いつも言ってればいいのに…。

ここ10年は、毎年のように思ってきたことだった。毎年この時期が来るたびに飽き飽きするほど聴かされる戦争についての云々と共に幼心に思ってしまった、大衆の卑下だ。

確かに俺も、今の時代の戦争は(北半球の)多くの人間にとって利益がなく良くないことだと思うし、原爆の被害に遭われた方は大変だろうとお悔やみもする(戦争により多くの軍事産業が発達するが、現在は戦争がなくとも発達する・またはしている分野が多数あるため)。
唯、世間の大衆のように「今だけの懺悔」などに興味はないし、「今だけの懺悔」を軽蔑する。

普段から思ってもいないことを、ある時期に周りが騒ぎ立てるから自分も目立ちたいという理由で自分も騒ぎ立てること。
この形式は大衆が関わるあらゆる場合に適用される。代表的なものがニュースだ。
殺人事件から強盗から政治家の汚職事件まで、ありとあらゆるニュースが飛び交う中、1つ抜きん出た注目される事件が起これば(少年による殺人犯罪などが良い例)、あちこちから犯罪の起こった経緯、動機、動機の発生に起因するものへの呵責等が騒ぎ立てられる。
別に自分とは何ら関係のないことでも、被害者側に立って同情し、加害者側を何の事情も知らずに叱責し、挙句の果てには世間の在り方、大人になるまでの教育等に責任を転嫁する。
そして周りのほとぼりが冷めれば、自分が言ったことさえ忘却し、あっけらかんと元の生活に戻る。

「首を突っ込む」とはまさにこのこと。これに感動せずにいられようか?何の生産性もない同じ事を繰り返して楽しむ大衆、お前らバカか。
どうしてもっとマシな行動が取れないんだか。いい加減その時その時目立つために世間性を盾にして騒ぎ立てるのやめようよ…見ていて赤面するよ…。
それだけならまだしも、テレビや新聞にまでその醜態を晒すのを見ていると、呆れを通り越して(彼らの知能に)同情さえしてしまう。
意識的に、なら納得できないこともないが、無意識的にというのが凄く厄介。

戦争ニュースも全く同じことが当てはまる。
つまりおバカさんな彼等は、自分の知名度(?)を上げる為や、自分自身の暇潰しのために「戦争反対」を唱えている。勿論、戦中世代の方は別としてよ?
あまつさえ、経験者の談でも同じようなものばっかなんだから、戦争を実際に経験したこともなく、別に身内の被害者を目の前で失ったこともないような奴らが何を言おうが、どうせ他人と一緒のことしか言えないんだって。
そんなもの、自分が目立つためには何の役にも立たないんだよ?顔がめっちゃ良いとか、物凄い人気のある歌手とかスポーツ選手以外はね。
そういった有名人がこれらの発言をすれば、世間の評価は間違いなく上がるだろうが、一般人が騒いでも、面白くも何ともないんだし評価に変わりはないんだって。
だから、どうせ思ってもいないことを偉そうに語るのやめようよ。そんな人間がこれから先増えていったら、常に同じ新聞記事を見せられ、同じテレビ番組を見せられ、同じ話を聞かされることになりかねない。

この時期の日本は大概が「原爆被害」を盾にとって、自分達が被害者であることを世界に示しているが、アジア諸国から見れば、日本は被害者でもなんでもない、唯の「虐殺者集団」だろうに。
それが嘘だろうが本当だろうが、「本当」だと思っている人間が多くいる時点でそれは「本当にあった出来事」なんだから、虐殺者集団に同情などしない。している人間は身内が日本と深い関わりをもっていたか、上記のような目立ちたい人間層だろう。

自分達が被害者であることばかりを叫んでいる日本人は、どうして自分達の国が起こした惨状を話さないのだろう?または話せないのだろう?自分達に都合のいいことしか言えないんだし喋るなっての。

さらにもう1つ、「平和が1番」。これを叫ぶ奴らは何も言わずに死ね。
平和が1番?それは大変素晴らしい理想論ですね?
平和なのは日本だけだし、しかもその平和は現在までに繰り返されてきた戦争による軍事産業の発展と現在の発展途上国の犠牲によって成り立っている。
今多くの人間に使われているインターネットやGPSというシステムすら、元々は戦争において相手国を出し抜くために発展させられたものだろう?
特に代表的なものが原子物理で、もしも第2次世界大戦で原子爆弾が作られなかったならば、日本やその他先進国はエネルギー不足に悩まされ、決して今これほどの発展を遂げなかったに違いない。
先進国の多くでは、食べるものがあって、欲しい物が目の前にあって、それを買うことのできる金を持っていて、その金を稼ぐ職があって…。
その代わりに、世界のどこかには食べるものがなくて、欲しい物を望む余裕さえもなくて、あったとしてもそれを買う金がなくて、その金を稼ぐ職さえもなくて…。
他者の犠牲によって培われている平和を、「平和が1番」と言っている奴らはどう思っているんだろうねぇ。平和な場所で過ごしている奴らは見えていても、犠牲になっている人は見えているのかなぁ?もしも世界皆が平和に過ごせるようになったら、面倒なことをやらされる人が減って、現在のような生活は困窮すると思うだけどな〜。そこんとこどうなの?

俺は何も、今書いたようなことを「するな」と言いたい訳じゃない。
そんなことしたら、大衆は唯一の楽しみも奪われて潰れてしまうだろうからね。
潰れてしまったら、今の日本が快適でなくなる。働いてくれる奴らはしっかり働いて貰わないとね。

唯、もうちょっと発言を控えめにするべき、とは言いたい。さすがにうるさい。耳にタコが出来るなんてレベルじゃないし。
賢い人はそんなことには関わらないだろうから、必然的にアホばっかが集まるんだろうケド、それを粛清する賢い人が現れたらいいなぁ。俺は絶対にイヤだけど(笑)

めっちゃ俺の感情論なんだが、俺の知り合いに上記のような人間が現れないことを祈って書いてみる。
後、どうせやるなら中途半端は良くないよ?どうせなら日本人全員の興味を惹くような素晴らしい戦争反対を唱えて、知名度を上げなさい。
それ以外、ニュースの使い道なんてないからね。