「受験における妥協」

さて、近畿圏の私立は大方発表が終了したところで、少し書いてみようかと。

俺の受験結果は以前に示した通りです。
友人の多くは、関西・立命・同志社…の一般及びセンター利用・併用を受けてました。
練習の人も居れば、本命の人も。
結果は色々聞きました。
本命の国立がとても難しいけど、浪人はしたくないという理由で同じ私大をセンター含め2,3回受験したら、センター利用だけで受かって「受験料無駄だった><」と嘆いている人も居たし、「○○のセンター利用は受かったが××の一般が…」、という人も居た。

そこで俺の偏見による感想としては、

「志望校を下げた人間、科目数を絞った人間は落ちている」

というのがあります。
前々から教師陣を含め、多くの方々が言っておられますが、受験直前期ではないのに志望校を下げる・科目数を絞るというのは危険な行為です。
多くの場合、志望校を下げることが科目数を絞ることに繋がりますが。

志望校を下げると、今までD,Eランクばかりを見てきた人間が、急にA,Bランクを見ることになります。
注意深い人は別でしょうが、多くの人はここで油断します。
つまりは、過去問で偶々8割とか9割を取ったくらいで満足してしまう。

「この程度出来れば大丈夫だ」

と言って、途中でやめる。
もしくは完成した(と思ってる)科目をやらなくなる。
点数が下がるのは目に見えてますよね?

どんなレベルの大学であれ、受験しに来る人は「受かりたい」と思ってきます。
本命の学校に受けに来た人ならば、最後の1秒まで諦めません。

「もしかしたら、どこか間違ってるかも…見直しなんて沢山やるにこしたことはない」

と戦々恐々としながら受験します(無論例外は多々あるでしょうが)。
結局、この臆病さが繰り返し自分の解答をチェックすることに繋がり、ミスを発見することに繋がります。
言ってみれば、臆病な人間ほどテストに於ける成績が良い傾向にあります。
“賢さ故の臆病”と言ってしまっても過言ではないかもしれません。

これと対照的なのが浮かれる人間。妥協する人間。
満点すら取ったことがないのに、8割程度でストップする人間。
ある時点で6割の臆病な人間と8割の妥協する人間では、恐らく6割の臆病な人間がテストでは勝つでしょう。
「これだけ出来れば大丈夫」では、その「大丈夫」の基準が、自分の思っている物と相手から求められている物で異なっていては無意味だからです。
殊、大学入試においては、問題の傾向が変わるなんて不思議でも何でもありません。
今年のセンター英語がそうでした。
けれども、「どこが大丈夫だか解らないから兎に角1点でも多く取ろう」とする人間は、相手から求められる物以上を吸収していきます。少なくともそう努めるでしょう。
だからこそ、様々な問題に対処できるだけの知識及び思考力ないしは冷静さを手に入れられます。
結局このことは、「入試問題の傾向が変わっても対処できる」能力に繋がります。
今年のセンター英語を取ってみれば、かなり傾向が変わったとは言え、様々な形式の問題を解く…過去問は当然のこと、他の形式の問題にも多く触れておく機会が多かった人ほど満点・9割5分などの高得点を叩き出している事でしょう(少なくとも周りの友人はそうです)。

「受ける大学はマークだけで記述はないから」

等と言ってマークばかりに専念し、記述をサボる人間。
大体語学系の科目でミスっています。
そういった人は得てして、問題を解いたときの点数だけ気にして、見直しや復習などを軽視し易かった。
きっと、自分で解答を作る記述と違って、直す箇所が少ない・所要時間が短いからでしょうね。
周りには居なかったようですが、「マークがなくて記述だから記述だけやる」という人は、恐らくマークの試験では時間切れになるんじゃないでしょうか?
ある程度試験に慣れるという意味で志望校の過去問などをやる必要はあるでしょうが、志望校の過去問だけに傾倒している人間は危険でしょう。
もし入試問題が今までとは全く違う問題になったらどうするんですか?勘ですか?

A判定だろうがB判定だろうが、現状に満足してそれ以上進もうとしない人間は、受験だけじゃなく、これからの人生全ての場合で失敗します。保障します。
俺にとっても誰にとっても、これは当て嵌まることでしょう。
きっと、受験は、受験勉強をすること以外にも学ぶことが多いはずです。